聖天講式第一に本地を明かすとして「香集世界に大虚空蔵と示し」とあります。
つまり十一面観音や大日如来のほかに「虚空蔵菩薩」という考えがあるのです。
「香集世界」は虚空蔵菩薩の浄土です。
香集世界とは何でしょう。我々カルマのことを仏教では「薫習」と言います。つまり香りですね。要するにカルマの世界。宇宙(虚))は我々の蔵識と同じということだと思います。その世界では聖天様はそのまま虚空蔵菩薩だということ。
虚空蔵菩薩は宝部の菩薩です。
如意宝珠真言として知られるオンアラタナマニバサラタラは寶光虚空蔵の真言でもあります。
聖天尊の増益を望む人は虚空蔵菩薩の真言を合わせて唱えるとよいと思う。
だが大事なことはその際に「金の亡者のような心」は捨てること。
虚空蔵の富とは大宇宙の豊かさであり、自然なものです。
金銭のような人間の作ったものに限定されない。
人間が考えた経済システムは素晴らしいもので宇宙の循環のミニチュアの様なものではあるでしょう。
これが無ければ分業もなければ科学や文化・芸術やあらゆる発展はない。
ですが大事なのは「金」ではなく「流れ」です。
お金はその流れの陰でしかない。
宇宙の蔵にお金はない。お金の様なものは存在しない。
万物を活かすす無形の知恵があるのみです。
これがあらゆる良きもの源泉です。具体的に形を変えればお金にもなるけど、お金そのものはない。
「100万円欲しい」と祈ってもそれは難しい。その100万円で何がしたい?
ヨーロッパ旅行したいなら、その旅行をしたいというのを祈るべきです。
「月いくら目標」みたいなのは聖天様には意味不明です。
それを言うなら「安定した経営をしたい」と祈るのです。
ムチャクチャ儲からなくても無駄が大幅に削減されて安定するかもしれない。
儲かってもコスト倍増なら結局安定はない。
宇宙の流れに資金の、元金の、何金のという区別はない。
宝くじ5億円とかも存在しない。祈っても無駄です。
「何がしたい」というものが無ければ流れは起きないから無駄です。
だからワクワクしないとお金は来ないです。
故に喜びがそこにないといけないから歓喜天。
無論宝くじが当たって必要なお金が手に入るという結果としてあったとしても直には祈りの対象ではない。
おなじように「東大医学部に行って、一流の医者になる」は有効じゃない。
「一流の医者になる」の部分は有効です。
だってそのため東大医学部に行きたいんじゃないんですか。
もっと言えば一流の医者とはどういうイメージですか。
沢山の人を治して感謝される医者。評価の高い医者。内外に尊敬される医者でしょうか?
その部分だけが聖天様には届きます。
要するにまず先に言葉でなく「思い」を届けるのです。
「東大」という言葉だけでは届かない。
それを「東大に行かなきゃ無意味」という風に全く限定し切ってしまうと、人生に別なルートが用意されてあっても、以前あった事件のように落第して刃傷沙汰など起して人生そのものをつぶすことにもなりかねない。
これなどは本当は「親の望むをかなえたい」が目標だったと思う。
目標設定がずれてれば叶いません。だって注文が間違っているんですもの。
でなきゃ医者になりたい人が刃物で人を刺してどうするんです?