今日から10月の分のお浴油はじまりました。
毎度、自分に言い聞かすように思うのは、少しも力みなく、能動でなく受動であれ。
お施主さんの気持ちと尊天のお気持ちをつなぐには受け身の慎重さが要る。
念の力?そんなものはクソの役にもたちません。だいいち私にはそういう力はない。
密教の原理は加持力。
加持力と言うのは本尊の加護「加」を保つことです。
だから周波数を合わすのが大事。加持の「持」の工夫。
本尊無視の自分の念力なんか邪魔でしかない。
だが、心の力は使う。
それは今言ったような慎重さ。言ってみたらおうかがいの心。
念力ではない。
歯ぎしりせんばかりに念力など込めれば「お前そんなことしてどうする気だ?」と言われる。
このお施主さまの願い。尊天が如何に思召すかだけ心を砕いて祈願する。
後は淡々と油を注ぐだけ。
それが30年間以上浴油して来て思うこと。
学んだことの全てだ。