金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

宮型霊柩車

今日ニュースで15もの地方自治体がいわゆる金龍車、銀龍車などの宮型霊柩車の火葬場への乗り入れを禁止しているとききました。
理由は死を感じさせるので高年齢者中心に忌避する傾向にあるとのこと。
でも私はそれは違うなあと思います。
人は死は死として受け入れる文化が必要なんです。
もう、日本人にとって死はただ「ナッシング」だけになっているのでしょうね。
実に涙が出るほど情けないですね。
勿論、金龍車や銀龍車といった宮型霊柩車が別段、仏教の教えの上で必要なのだとは思いません。
ただ、死者を隠すというのが許せない。ここが問題です。
昔で云うなら縁起悪いから野辺の送りの葬送行列はやらないでくれというくらい非常識なことです。
そこには死者に対する畏敬の念というものがまるでないように感じます。
死んだらただのモノと一緒ですか?お前はもう死んだ人間なんだからいないのと一緒。ただの黒塗りの車で人知れず判らないように街を走って行けというのでしょうか?
これこそが宗教の貧困だと思います。
宗教どころか心さえ失っているように思えてならない。
いつも思うのは宗教とは生死一貫の価値感が無ければ成り立たない。
それがもう消えつつあるのですね。
逆にモンゴルではモンゴル人の力士からその存在を聞いたということでこれを導入。有難い、走るお寺みたいで凄いと大いに喜ばれているといいます。
モンゴルは1992年まで社会主義の鎖に繋がれた国でしたが今は違います。大乗仏教の国としての文化は脈々と生きていますね。
この点、逆に日本の仏教というのは緩やかに死んでいくようにしか思えないですね。
そして日本は仏教者が自信を持って仏教思想を語れないとてつもない変な国です。
坊さんが人の顔色見てみて仏教の話をするんですから。
多くの人にとって仏教とはもう葬式ビジネスでしかないし、それさえ失われつつある。
「お葬式とか法事って結局残った遺族のためにあるんでしょう。」と聞かれたことがありましたが「いいえ、第一に死者の為です。だから極端な話、参列者ゼロでもいいんです。」と私は言い切ります。
この状況にに御本の仏教者は危機感は無いのでしょうか・・・・??。
死の意味付けのできない唯物思想に侵された日本。
唯物論社会主義を崇拝する仏教者
実につくづくつまらない国になったものです。