そういうの全く知らないで「私は古神道やっています」なんていってやってくる人いますが啞然です。
「復古神道」の名前すら知らない人もいた。???。
それ自体は別段よその宗教だというだけで悪いとかダメとかとも思いませんが仏教徒がやるもんじゃないね。
なんという本だか忘れたけど昔、鎌倉市図書館で読んで驚いた。
歴史に疎いかオカルト的なトンデモ歴史観のある人しか考えられない。
此れなら実際の古神道でしょうね。
大体が自分で「古い」とつけるのが本当には古くから続いてきたものではない証拠では?
本当に古いものはそんなのついてません。なぜなら今から見て古いんだから、後に作ったことは明々白々です。
だからあくまで「復古」ということなんでしょうね。それなら逆に言えば系譜や伝承はないということです。
伝承が続いているなら復古は無用ですから。
それなのに古神道には有史以前からの秘法が伝えられているとか言い出す。わけわからん。
少なくとも今の「古神道」などといったものは絶対ないでしょう。
日本には方々からいろいろな民族がやってきていろんな信仰持ち寄った。
教祖もいない。経典もない。教義もない。ということで神道は信仰ではあっても宗教学上は「宗教」ではないという。
混交宗教だから。勿論教祖はいないですね。
でも教祖がいないというけど、それが存在することはそれだけ太い信仰体系が基盤にあるということ。我々民族の中に。
これはものすごい神道の強みです。
断っておきますが私は神道は大好きです。
実は私はそここそが神道の最も「素晴らしいところだと思っています。
偉大なるシンクレティズムです。
だから決して神祇やお宮はおろそかには考えません。
古神道の存在はそれはそれでいいでしょう。いろいろな呪術編み出したりして面白い。実はそれほど嫌いじゃない。
こういう部分はずっと後でできたんでしょうね。
宣長先生も篤実先生もそんなのは言っていないでしょう。
彼らが強調しているのは神道の教学面、思想的なものですから。
歴史がどうとかより面白い方がいいので私的には嫌いではないけど、あちら様が仏教は嫌っているんですね。
でも…太古神伝折り方の秘法なんてのもきくけど…大体太古に紙はあったんでしょうか?と疑問に思う。
もっとずっと古い○○文書とか神代文字があるというけどおとぎ話の域でない感じです。はっきり言ってまったく信用しません。ゼロです。
悪いけど私、「純粋何とか」というものが総じて大嫌いなもんで。
純粋な仏教。純粋な密教、純粋な○○…そういう類はみんな近づきたくないね。そういうの言う奴、怪しくて…大嫌い。
そもそも私「不純」な人間ですからそういうの性分にあいません。
私が信用する神道とはみんなが持ち寄ってワイワイやってみんなの中で時間かけて出てきた信仰だからこそ信仰するんです。
逆言えば純粋じゃないからいいんです。
誰か優れた思想家が言っているものなんて所詮哲学で宗教じゃないから信用しません。
宗教は唱える者だけでなく信じる人がいてこそ宗教ですから。
どんなに優れた言葉でも一人が言っているのみで信奉者がないなら信仰にはなっていかない。
歴史上明確な一人の教祖が言っているだけのようなものは危なくて信用できません。そこは明確な教祖がいない神道は素晴らしい。
実際の歴史上のお釈迦様がこう言っているからそれのみを信用するとかというのは私にはあまり意味ないんです。登録商票が仏教ならまあいいかなんです。
どれが本当かという歴史的事実よりも、どれが指示されてきたのかという歴史の方が大事なんです。学者は別ですけどね。
学者じゃないので。
たとえば宿曜経、お釈迦様は仏遺戒経や涅槃経で占いなんて否定したのに…という。
どうもいいです。それが何か?