金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

古神道って何でしょう?

今日たまたま「古神道密教とは基本的に相いれません」という話をしたら「エ?どうして?」という人がいました。
古神道とは正しくは「復古神道」だからです。
本居宣長 平田篤実といった幕末の神道家が神道純化を図るため仏教や儒教道教の色を全部除いた本来の神道を提唱しようとしたものです。それが母体。
実は歴史的には現代の神社神道、戦前の国家神道に次いで新しい存在です。
そういうの全く知らないで「私は古神道やっています」なんていってやってくる人いますが啞然です。
復古神道」の名前すら知らない人もいた。???。

それ自体は別段よその宗教だというだけで悪いとかダメとかとも思いませんが仏教徒がやるもんじゃないね。
古神道の本見たら、なにせ「仏教は不浄である」「不動明王は天竺の拝火教の邪神」とまで言うのだから。これじゃ共存しようがない。
なんという本だか忘れたけど昔、鎌倉市図書館で読んで驚いた。
慈覚大師、智証大師は法華の醍醐(チーズ)に密教という毒混ぜた大悪人とまで言う日蓮さんの日蓮宗のほうがまだしも仏教ですので、いくらかとりつく島があるくらいです。
でも日蓮様にゃわるいけど私、毒入りの醍醐大好物です。

でも神道純化というこの試みって無理なんですね。
歴史に疎いかオカルト的なトンデモ歴史観のある人しか考えられない。
だって神道のスタイルってもともとは半島系の陰陽思想がもとでできたものだし、のちには中国の道教からも影響受けた日本版道教みたいなものですから「純粋なる神道」なんてもとよりないのです。
あるというなら大昔に沖ノ島でやっていたような木の実かなんか食べ物ささげてお祈りする。それが原初の神道ではないかと思う。
此れなら実際の古神道でしょうね。
大体が自分で「古い」とつけるのが本当には古くから続いてきたものではない証拠では?
本当に古いものはそんなのついてません。なぜなら今から見て古いんだから、後に作ったことは明々白々です。
だからあくまで「復古」ということなんでしょうね。それなら逆に言えば系譜や伝承はないということです。
伝承が続いているなら復古は無用ですから。
それなのに古神道には有史以前からの秘法が伝えられているとか言い出す。わけわからん。
神道原初の姿を言うならあるいは修験道のような山の信仰。それから海の信仰と言った自然崇拝ですね。
少なくとも今の「古神道」などといったものは絶対ないでしょう。

日本には方々からいろいろな民族がやってきていろんな信仰持ち寄った。
だから神道自体がシンクレティズムであって純粋な神道なんてものはもともとないんです。
教祖もいない。経典もない。教義もない。ということで神道は信仰ではあっても宗教学上は「宗教」ではないという。
混交宗教だから。勿論教祖はいないですね。
でも教祖がいないというけど、それが存在することはそれだけ太い信仰体系が基盤にあるということ。我々民族の中に。
これはものすごい神道の強みです。
断っておきますが私は神道は大好きです。
そして神道のオリジナリティというのもしっかりあるけど、「神道独自のもの」といっているのはそういうほかの思想との間ではじめて生まれてきたんですね。
実は私はそここそが神道の最も「素晴らしいところだと思っています。
偉大なるシンクレティズムです。
だから決して神祇やお宮はおろそかには考えません。

でもそれを純粋な神道なんてラッキョウの皮むくようなことしても無理です。
古神道の存在はそれはそれでいいでしょう。いろいろな呪術編み出したりして面白い。実はそれほど嫌いじゃない。
こういう部分はずっと後でできたんでしょうね。
宣長先生も篤実先生もそんなのは言っていないでしょう。
彼らが強調しているのは神道の教学面、思想的なものですから。
だから今の古神道はあえて言うなら「新古神道」とでもいう方が良い。
歴史がどうとかより面白い方がいいので私的には嫌いではないけど、あちら様が仏教は嫌っているんですね。
でも…太古神伝折り方の秘法なんてのもきくけど…大体太古に紙はあったんでしょうか?と疑問に思う。
古事記が成立したのが和同五年一月ですからね。そんなに古くはないです。興福寺建立の発願よりも後です。

もっとずっと古い○○文書とか神代文字があるというけどおとぎ話の域でない感じです。はっきり言ってまったく信用しません。ゼロです。
悪いけど私、「純粋何とか」というものが総じて大嫌いなもんで。
純粋な仏教。純粋な密教、純粋な○○…そういう類はみんな近づきたくないね。そういうの言う奴、怪しくて…大嫌い。
そもそも私「不純」な人間ですからそういうの性分にあいません。
私が信用する神道とはみんなが持ち寄ってワイワイやってみんなの中で時間かけて出てきた信仰だからこそ信仰するんです。
逆言えば純粋じゃないからいいんです。
誰か優れた思想家が言っているものなんて所詮哲学で宗教じゃないから信用しません。
宗教は唱える者だけでなく信じる人がいてこそ宗教ですから。
どんなに優れた言葉でも一人が言っているのみで信奉者がないなら信仰にはなっていかない。
歴史上明確な一人の教祖が言っているだけのようなものは危なくて信用できません。そこは明確な教祖がいない神道は素晴らしい。
大乗仏教も同じ。釈尊に仮託しているので教祖はいない。しかもその釈尊は歴史上の釈迦じゃない。
実際の歴史上のお釈迦様がこう言っているからそれのみを信用するとかというのは私にはあまり意味ないんです。登録商票が仏教ならまあいいかなんです。
どれが本当かという歴史的事実よりも、どれが指示されてきたのかという歴史の方が大事なんです。学者は別ですけどね。
学者じゃないので。
たとえば宿曜経、お釈迦様は仏遺戒経や涅槃経で占いなんて否定したのに…という。
どうもいいです。それが何か?
もっとも大体神道は明確な教義がないから何でも言える。だから新宗教でも神道系が一番作りやすいと言われる所以です。
新宗教作るなら神道系!教相判釈がないので文句のつけようがない。
私もかなり右寄りと言われる人間ですが、古神道の皆様がお好きなユダヤの世界謀略だの、天皇霊がどうのとか、日本は世界の縮図だなんていうのには申し訳ないけどどうしてもついていけないんですね。