聖天様はお礼参りが大事。
そういわれている。でっかいご利益ほしけりゃ必ずお礼参り!
それで百味供養だの大般若だのあげる。
でもその理由は、聖天様がえらく恩着せがましい神様とかではないのだと思います。
いいことがあったら、それを確認する。
「ありがとうございます。」ということで、自分のラッキー度が確認できる訳。
ああ、自分ってラッキーなんだ‼というアファメーションでもある。
これがとっても大事なんですね。
幸運の確認、表明により本当に幸運な人間になっていく。
幸運が積まれていく。
そうじゃない人はなんか危ない目に遭ってまぬかれても「ああ、やれやれ ひどい目に合うとこだった・・・くわばら、くわばら」でおしまい。
「まったく油断も隙もない」とか「ろくなことがない」とかいうのが口癖になっている人も同じ。
結果は同じでも悪くするとこれは不運の確認、表明になる。
それで結果的にはアンラッキーの積み上げになるんですね。
信仰のない人はそうなりやすい。
おざなりに信仰があってもブー垂れるだけの人間も変わらない。
幸せになりたきゃ感謝です。・・・よくそういうけどその理由はこういうことなんだと思うんです。