思うんだけど、そういうのって眷属にからかわれているんだね。
「こいつ生意気だから少しからかってやろう。」という連中がいます。
まあ、まだからからわれているうちはいいけど、そういうやつらは情け無用のきつい者どもでそれでも生意気な態度がやまないと本気で怒らせて追い出される人もいる。
直接動いているのは彼らですから。
そういう眷属もいるし・・・したがって、そいつらに追い出されて去っていく人間もいる。有力信者でもだんだん生意気になって「ここの寺社は俺のおかげで持っているようなもんだ。ガハハハ!」なんて口に出して言おうものなら確実にそのうちやられます。
やられないようなのは住職や神主も真剣に拝んでいない寺社。
あるいはお金が欲しくて信者に常日頃よりおもねるような住職や神主。
そういうのは彼らに嘗められて、愛想つかされている。
そういう寺社はもう大概は寺社としての機能もガタガタです。
そういう怖い奴らがいて寺社は持っている。
私も浴油始めたころはさんざん彼らにやられた。
多羅鍋はひっくりり返されるわ。
衣の袖が油につかってしまうなど・・・日常茶飯事。蠟燭の火が衣に燃え移ったこともあった。
そういうのって、見た目には所作の不注意なんだけど、・・・どうもそれだけじゃない。
やられちゃうんだね。
師匠は「ああ、あんた。眷属にからかわれてるんだね。」と言って笑っていた。
態度が気に入らないとか、生意気だと思われるとそうなる。
聖天の眷属たちから言わせれば私が浴油始めるのは「お前ごときが浴油祈祷だと?笑わせんな。」
「生意気な!させるか!」ってことでしょう。少し可愛がってやれということです。
それでなくても色々さんざん試してくる。だから、初心の行者はもう謙虚に、謙虚にやっていくしかない。
「何、おのれ!」なんて思って九字とかで切りつけても「こいつは勇ましいねえ」なんて鼻で笑われるのが関の山です。
でもね。一転、彼らに認められだすといつのまにか護法となってがっちりガードする側に回ってくれるんです。
ここまで来て、はじめて天部の行者はやっと一人前なんじゃないかなと思います。わたしは。
そういう意味では私も天部行者の端くれくらいにはなるのかも。
でもって、本当にこのレベルだと「祈らずとても神や守らん」ということになる。
必要なサーヴィスはしてくれるけど、自分が希望しても本尊が無用と思うことはなにもかなわなくなる。そういう境涯になる。
だから、天部信仰にご利益を夢見ていたいならいつまでも信者でいることだね。
もう、あんまり自分サイドのお祈りはしなくなる。しても無駄だし、いらないので。つまんないといえばつまんない。
もともとそういう連中は天以下の八部衆や動物霊ですから手加減はなし。
彼らのやることには私はストップは掛けられない。私なんか主人だと思っていないのでいうことなンか聞く耳はない。
聞くのは本尊の命令だけ。
本尊がさせるわけじゃないけど。あえてストップ掛けない限りは障礙はおさまんないね。
特に天部の行者はここ通過して合格しないとダメです。
つまりそういうことも必要なんですね。長い目で見れば。
だから怖いんです。天部は。