金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

天台僧 四国遍路に出る


金蔵寺を出た白戸師匠はさて次はどうしようかと考えた。
いまさら不動精神教会に戻ることは考えていなかったし、かといって、まだ教会を開くという考えまではなかったようです。また、園城寺に行くというのも、すでに金蔵寺天台寺門宗管長である大岡俊謙猊下のもとにいたのあり、このうえ本山に行くということの意味も明確にできなかった。

もっとも「栄和精神教会」という名称で許可を持っていたので一度は教会を持ってみようというそんな試みをしたようではありますが…
それで天台僧ではあるが四国の人間ならではの発想をしたのでした。

「お遍路」です。

天台僧の道を求めて、真言宗祖の弘法大師に頼むのは変と思う方もいるでしょうが、四国の人にとって弘法大師真言宗という枠に収まらない万人を摂する霊的偉人なのです。

それで遍路をして弘法様に道を問うことにした。全部で二周したといいます。

一回目は近所のお寺の小僧さんも連れて行ってくれと頼まれ同行した。
そうしたら何ヶ寺目で朝着いたとたん、「お遍路さんお加持して、待ってたで、お加持して下さい!」と中年の婦人が境内の隅からころげるように飛び出してきたそうです。

きけば婦人は癌なのだという。もう助からないのか。なんとかして欲しいと弘法大師に必死に祈った。
そうしたら夢の中に大師がおでましになり「明日の朝一番じゃ、一番にきた遍路に私が乗り移りお加持してやろう。明日の朝一番じゃぞ。」といわれて、昨日の晩から境内の隅で野宿して待っていたという。

それで請われるままにお加持したら、やがて婦人は激しく体を震わして何事か、怒りに満ちた呪いの言葉を口から次々に吐いたといいます。
そのあり様のすさまじいことに同行の小僧さんはすっかりおびえてしまったそうです。
それが原因か否かはわからないが、彼女はなにかしらの怨念を受けていたらしい。

お加持が終わると「嘘みたいに楽です。やはり弘法様の言うとおりだったわ。」と婦人は何度もな何度もお礼を言って去っていった。

それで治ったかどうかは追跡しないので知らないけどそんなことがあったものだから、「白戸さん、…白戸さんは怖いことするんですね。私はあの女性、気が狂ったかと思ったわ!」と同行さんは恐怖冷めやらぬ様子。
師匠は笑って「平気さ。わしはあんなのばっかり相手にみてきたんだよ。」
 
白戸師匠はこの時。今まで13歳から弟子になり、当たり前であった大西先生との日々が、実は一般の世間には到底ありえない不可思議の日々であったのだとつくづく知ったといいます。
同時に自分に多くの法を授けて育ててくれた大西先生が実にたぐいまれな世に得難い修験者であったこともこの時はじめて深く心に悟りました。
 
白戸師匠は松山を出てから金蔵寺比叡山と色々なところに修行にいったけど。思えば後にも先にもあの松山の日々、あの日々こそが自分を作ったのだ…といつも述懐されていました。