真言密教では如意宝珠に例える。
宇宙にその慈悲を信じる者があればそれに応じて仏の働きが現れる。
仏そのものは宇宙と同質なのだということ。
仏性は宇宙と同じレベルで存在する。
大乗仏教の信仰とはそれを信じることではないのか。
悟りというと何かがわかった!というイメージですが、要はそれが体得されることなんでしょうね。
法華経の「薬草喩品」に菩薩乗を上分の薬草に例え「神通力を備える」と記すことは大きな意味があると思います。
何故、大菩薩は神通力があるのか?
つまり宇宙そのものが仏性であり呼応してくれるのだということ。
それを知るのもが大菩薩でしょう。
悟ればそれがわかるということではない。それは逆。
それがわかるのが即悟りなのではないのかしら。
だから密教はその部分だけ先取りする。凡夫も三密加持により宇宙によびかければ大菩薩と同様に神通力を発揮する。それが凡下のこの身を改めずしてなる即身成仏ということではないのかな。
だが、それを知らなければ誰も宇宙には呼びかけない。
木や石にも仏性があるというのは日本仏教だけらしいけど、法界即如来であれば当然そうなる。
だからあなたよ。宇宙に呼び掛けてみたらいい。