金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

占いなればこそ

世間の価値観と占いの価値観は違う。

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たとえばお身内を残して別れてきてそれが心のしこりになっている方のお話。

「身内を見捨てて自分はいけないことをしたんだ。」という罪悪感。

ふつうはそういうのあるかも。場合にもよると思うけどね。

 

普通の模範的な人生相談なんかなら「ああ、そう怖かったんだね。きっと・・・逃げちゃったの。でもね。きっとまだやりなおせるよ。反省してもう一度、家族関係やり直そうよ。」ということになる。

決して逃げてOkなんていう肯定はしないですよね。

それはなぜか。

あくまで照準が個人の行動の社会的評価だけだからね。ほかはない。

 基準になるのがやったことへの社会通念からの善悪。

それだけだとそうなる。ただのジャッジ。裏ワザなし。

 

でも占い的にはいいや、逃げていい。それでよかったんだ!という結論もありうる。

 

何故なら占いではだれがなにをしたかが照準ではなくこういう場合は全体のバランスで良いか悪いかを見るから。結果としての最善が優先される。

モチロン、あくまで占いの判断としてですがね。

 

 

心理セラピーならファミリーコンステレーションみたいに俯瞰する。

それで初めてわかることもある。

たくさんある。

ファミリーコンステレーションだって実際はた目には霊媒みたいだし一般の方はいきなり見せられても占い以上にうけいれられないだろう。

 

この場合もそのままにしていたなら・・・その方がもっとずっと悪い結果が見える。

だから色々すり合わせて考たらそれで正解。

逃げていいんです。

罪悪感が一転いいことしたんだね!に変わる。

何も悪くない。

誰も悪くない。

 

それですっきりされたようでした。

のちのお礼メールまで来た。

 

だからは世間一通りの道徳一辺倒ではそこはダメなんだと思いますね。

占いなんて迷信だという人に何も申しませんが。

言い方変えたらもう一つ別な価値観が用意されているからこそ救われる場合だってあるということなんだと思う。

このケースも占術が身についていたからこそそこに救いを見出すことができた。

何時も占いが第一ではないけどね。でも占いやっていてよかったなあ・・・と思う。

ただの博識者やお坊さんのありきたりの話より、占い師から見た価値観で救われる人も決してすくなくはないんじゃないかな。