印や真言・観想という密教のツール。
ある部分で身口意の三密はNLP(神経言語プログラミング)の骨子に酷似しているとよく言われる。
ただ、NLPは宗教ではないから当たり前だが信仰は必要ない。
NLPは言ってみれば術である。
まあ。密教から術の部分のみ抜き出してみたら近いものになるのかもしれない。
NLPは宗教ではないからとっつきやい。
通過儀礼もない。
だが宗教であるならこれに「信じる」という最大のパワーが加わる。
私的にそこをいうならば一番おいしいとこ落とした感じだ。
だが多くの密教者がNLPトレーナーほど、密教自身の仕組みを理解できてはいない。
NLPを習得したものは密教の話を聞けばどこが良きものをうみだせる部分か理解することはそう難しくないと思う。
しかし一方何十日も四度加行をしても密教僧自身が密教のそうした部分に気付かないものすら多いというのが本当のところだろう。
つまりその有用性を理解していない。
だから密教を修行した僧侶自身が密教に何も期待していないことも多い。
まあ。片や宗教だから比べては云々変だが、日常の場面では実際は密教よりNLPの方がずっと使えるという状況となる。
逆に密教者がNLPやって初めて「そうか!」と気が付くようなもの。
そこはもったいないなあと思う。