金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

象頭人身な訳

聖天様というと何でもきいてくれるがキャッチですが、無理と難しいは違う。

大部長い事そう言い続けているからさすがに最近はとんでもない願い事は持ってくる人はいない。

うちは無理なお願い(道理を外した願い)は私がシャットアウトして聖天様に申し上げない。

聖天様は人間の欲望の道具ではない。

そういう人はおことわり。

 

でも巷では聖天様は何でもきいてくれると信じられている。

それも故ないことではない。

象頭人身の一つの理由として昔から聖天様は祈願者の願い事をスルーしてしまうといわれています。

ゾウが調御者のいうことをきくように。

ゾウは最大の家畜ですから。

でも神様ですから決してバカなわけじゃない。

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「一応はきいてやるから結果で冷暖自知せよ」というのが聖天様。

「いいのだな。どうなっても知らんぞ」というのが聖天様の怖さ。

 

それが祈願する上の責任です。

だから時として残酷な結果もある。

 

そこで聖天行者の役目は仏教に照らして「その祈願は駄目でしょ。なぜなら・・・」というのが仕事。

それを防ぐために。

そう思う。

だから祈願はもちろん普段から「こういうお願いをする人がいても聞かないで」とお頼みしてある。

同じ首から上が動物でも飯縄様なんかは人間の自由にならない。

ワシやタカは家畜じゃなく野生動物だから自由な判断を持っている。

意に染まないことは一切しないですね。

そういう違いは感じる。

龍王たちもそうですね、