これは私が心がけてることですが、相談者が「住職」とか言わず、「和尚」とも「先生」とも呼ばず、フツーに「○○さん」と言ってくる人がいます。
相談者には言い辛いけど「こういう場では住職とか先生とか言うものですよ。」とあえていいます。
繰り返してやめない場合は「敬意が払っていただけないようですから、もうめて中断します。」といいます。きついでしょうか?
これってね、別に権威ぶるためではない。
私なんかエライ人なわけないですから。
そこは誰より私が知っている。(笑)
なのにあえてそうするのは何故?
個人の名はいらない場だからです。
もっというなら尊称で呼べと言うのではありません。名前はいらない。住職とか和尚と言う役割だけでいい。
それは相談でも伝授でも祈願でも彼此の立場をはっきりしてぶれないためです。
相手の前に立つのはあくまで宗教的な職能を果たすためだからです。
そこになれなれしい態度は無用です。
外に理由などない。
会社に行って社長や部長に〇〇さんは言わない。
軍隊なら伍長とか、大佐と言う階級で呼ぶ。
この人たちも当然プライベートでは個人名で呼ぶ。
個人的なおつきあいならそうでしょ。
私も友達同士ならお互いに○○さんとか呼び捨てもある。
でもそういう関係はいらない場ですよね。会社も。軍隊も。病院も。学校もです。
同じく寺と言う場はがそういうプライベートな関係を求めてくる場所ではありません。
だから弟子にも信徒さんとはそう接するようにいっています。
最近は対等性という事が大事にされるので、むしろ自分から「先生なんて言わないでね。○○さんって呼んで」とか、「愛称やあだ名で呼んでください。」と言う人もいるでしょう。
もちろん親しみやすいという事オンリーならそちらが望ましいでしょうね。
心理カウンセラーならそれもありなのかも。
それが役割なのですからそれが仕事の上で有効ならそれでいい。
でも占術や宗教はそういう仕事と少し違う。
親しみやすいことなんかより、自分は未知の教えに向かっているのだという厳粛さが大事なのです。
そこにあるのはむしろ非日常的な人間関係です。
そこに過度の親しみを持ち込むのはむしろ邪魔です。
自分は秘密で奥深い知識や力にに向き合っているという気持ちこそが、初めて理屈だけでは無理のところを一歩超えさせてくれるんです。
そしてそういう空間を作る要素として役割で呼んでいただいてます。
以前ですがご自身の名前も言わずに「あ、羽田さんですか?私、いろいろ自分でも勉強したんですけど羽田さんの本読んでみて、なかなかよかったんで今度そちらで得度してもらおうと思ってるんですよ。」と言う人がいました。
でもあえてこの方の物言いには注意もしませんでした。
弟子になろうという人に電話で尊称も付けないで話すはないね。
こういう人にかかわる気は全くないのですから注意なんかしません。
注意して気分を悪くさせるだけ気の毒ですから。逆切れされても不愉快だしね。
「ああ、そういうことは致しておりません。ごめんください。」でおしまいです。
「え、でも・・・」とか言っていたけど電話はそこまでで切らせていただきました。
だって嘘じゃないですよ。
そういう方をお得度するなんてことは当院では実際致しておりませんので。