金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

私の祈り  善龍庵

 

 

施餓鬼供養や滅罪会の修行をしても不思議な体験をしないと言うメールをたまにもらいます。

 

こちらでの供養や修行というのは、自分の滅罪生善が進み、心を安らかにし、ご縁のある方の菩提を弔い、神仏やご先祖への報恩感謝の気持ちを育むのが目的です。

 

修行のひとつの相として不思議な体験をすることはありますが、一番大切なのは感謝の気持ちで、日々穏やかに無事に過ごせることです。

ですから、もし不思議な体験をしたなら、それを通じて信仰心が深まるということが重要です。

 

ちなみに神秘的なものを求めて修行すると、そういうものは遠ざかっていきます。

 

 

私たちは、常に順風満帆ということはありません。何事か起こってもそれに耐えうる力が大切ですね。

 

諸行は無常ですから苦しい現象がいつまでも続くということはありません。必ず変化します。

その時の対処、心構えでどう変化するかが決まります。

 

良い方向に変化させるためには、まずはその時を乗り切る、耐えうる力が必要なのです。信仰はそれを育んでくれます。

 

 

あるいは神秘的な出来事がおらなくても、現実においてちょっとずつ何か変化することは多々あります。良いご縁をいただくことがありますね。これも修行の好相と言っていいでしょう。

ただし、これに気づかないことがありますのでよくよく気をつけておくことです。

 

真源という方が書いた聖天様の本の中には、ご利益があるときにまず珍しい書物を得ると書いてあります。

 

 

私自身も神秘的な体験をするということはそう頻繁にはありません。どうぞご安心ください。

 

そして、毎朝、毎夕の祈りの時には、「今日、今ここで無事平穏に拝めることに感謝いたします」と拝んでいます。さらに施主、修行者各位の順調円満、発菩提心、お導きを念じております。(施餓鬼供養の時には一切衆生のために回向しております)

 

なぜなら、それが一番の功徳であり、不思議であり、神秘であるからです。

 


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伏見稲荷参道