金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

 私は父親の気持ちが報われることを祈る。

 

 今の時代、厳罰を乞うより許しや減刑を言うほうが簡単だ。
 
だがそれでは葬り去られてしまう大切なものもありはしないだろうか。
悪を憎むこころは大事だと思う。
故に私は犯人を憎む。
憎まざるを得ないのではない。
憎むことが積極的に必要だと考えている。
許しや減刑の実は被害者や遺族とかけ離れたうわべの「物わかりの良さ」でないとも限らない。
確かに仏様の慈悲は万人にむけられている。
だが我々は簡単に仏様のこころにはなれない。
だから仏様のふりをすることは私はしたくない。
そして、ほとけ様のふりをしなかった人が仏さまの仮面をつけた人から責められることは間違いだと思っている。
だから私は被害者遺族となった人の加害者への減刑嘆願には頭が下がる。
それは仏の心だろう。
 
だが世論のそれは多くが他人事だ。
 
わたしにも他人事だろうにといわれればそうに違いない。
だがあえて、私はリンさんの父親の気持ちが報われることを心から祈る。
犯人ではなく、リンさんや父親の側に立つ。
犯人を恨むなと言うべきだろうか。
そんなことはできない。この父親の気持ちは人のこの親である以上当然の気持ちだからだ。
もしこの父親が少しも恨んでないなどと言うならそれは立派なことではなく頭がおかしいとしか私は思わない。私はそういう人間だ。
それが私の仏道だ。