スピリチュアルな講座に行くと「あなたは自分を愛していないですね。」などという指摘をされることは良くあるようです。
「でも自分を愛するのは難しいよ~。わからん!」と言うのも良く聞く話だ。
実際自分を愛するってなんなんだろう。
自分を優先して考えるのは誰でもそうでしょ。そんなことするなと言っても自然とする。それが生命の本質だ。
誰でもエゴの塊だ。動物はそれだけで生きてる。
でも種族繁栄のためには本能的動物ほど簡単に自分を捨てる。
交尾の後、雌の栄養のために食べられちゃう雄のカマキリとかいますでしょう。
だからここでいう自分を愛するとはそういうことではないんでしょうね。
私が思う「自分を愛する」はエゴや生存本能じゃない。
それは自分を肯定するということ。
肯定できない自分の味方になって生きていくのは大変だよねということ。
肯定できない自分だからこそエゴや生存本能が悲鳴を上げる。
甚だしくは自殺までする。
だけどそう簡単に自分を肯定しちゃ困るね。
「駄目な自分のままで本当はいいんだ!」ということにもなる。
「自分を愛する」のはいろいろと努力の結果じゃないと無理なんだと思う。
そうでないとただのロクデナシでしょう。あるがままなんて。
あるがままでいい、あるがままが美しいのは花や虫や動物です。
そこへ行くと人間の「あるがまま」は高度なもんだ。
簡単にはそこへいけない。
花伝書なら守・破・離の離だ。そのレベルでいえること。
だから人生の晩年は割合と誰でも自分を愛せますよ。たぶんね。
「色々したけど色々あったけどこんなだね。結局自分って」と良くも悪くも認められる。もっとわかりやすくいえば諦める。もう無駄なジタバタしない。
なんか敗北的?いえいえ、諦めるという字は言葉の帝と書く。
帝は頂点だ。自分を愛するのは人生の帝になってすること
だけど若いうちはそんなわけにはいかない。
「こんな自分じゃいやだ~」
「自分なんか大・大・大嫌い!」
だから前に進むんだね。そういう人ほどそうです。
そういう意味では若いうちはみだりに自分なんか愛しちゃだめだ!と思います。