最初は驚くような御利益があったけど・・・長い間信仰してきて祈願が叶わないよいう場合は、大概もう福分は使い切っているんですね。
そういう時は功徳を作らないといくら祈願しても思うようにはなりません。
日常的に善根功徳に励まないとダメですね。
でもそれは祈願目的にするものではない。交換条件のようなものではない。
それには日常のあり方を変えるのが一番です。
なにかと善いことをしようとするというのでなく、日常的に自然とそれができる人になろうとする。
それには同悲のおもいがないといけない。
簡単に言えば思いやり。同悲の人になることです。
人を思いやる。
この気持ちがないとなかなか福分は育たない。
思いやりと言うお水をかけて福分の苗は育てます。