息子さんがもういい歳なのに結婚しないのでさせたいという母の願い。
どういう祈願をしたら、どこに願掛けしたらという話・・・
まあ、これが拙寺であればこう言う。
「まずしなきゃいけないのは祈願ではなく親子の話し合いです。祈願するしないはそれから」
結婚したくないのか
したいのか
相手が見つからないのか
いるのかいないのか・・・
昨日も家族には内緒で…という話は駄目。
話し合いが大事。何よりも大事なのは本人の気持ち。
そこを無視したりスルーするのは家庭にシコリや秘密ができることになる。
してはならない筋違いだ。
神仏はコソコソが大嫌い。
仏教が家庭に秘密を作っては本末転倒だ。
まず先に話し合い。
意思確認。
より複雑なケースもある。
以前に早く住んでいる土地を売りたいので祈ってほしいという依頼があった。
そうしたらすぐにその家族から「売れる祈願は止めてくれ」という電話があった。
それで本人に「売ることにご家族も賛成ですか?」と聞いたら「もちろんです。」という答え。
でもまたすぐに家族があとから「絶対に祈らないで」と言ってくる。
躊躇してたら当人からは「早く売れるように祈れ!」といってくる。
するとまたまた「いやそれは困るので絶対に祈願しないで!」と交互に電話が来る。
そんなこと言われても困る。
ハッキリ言って私はどちらの味方でもない。
もちろんこういうことは依頼主の味方でもない。
売って欲しいという側に「実はあなたの家族は売ってほしくないと言っている。どうなっているんですか?」と告げると相手は絶句した。
家じゅうが賛成と思い込んでいたらしい。
「ウソです。そんなはずない!」とまでいうので
「ご家族の話ではあなたが支配的で自分の意を曲げない人間なので困っているそうですよ。いっぺん話し合いしてからになさってください。」と告げた。
そうしたら一時間ほどして祈らないでくれといっていた側から今度は「なぜあなたはそんなこと言ったんだ!本人はそれがショックで落ち込んでいる。こうなった以上、あなたが責任をとって売れるように祈りなさい。」というファックス。
「 責任とれだと?ふざけんなよ!迷惑してるのはこっちだ。」
家庭のことは何よりもまず意志確認。
それがないならできない。