先の四つの仏土の中で「実報無障碍土」は初地以上の菩薩のいく浄土と言いました。
初地の菩薩とはなんでしょう。
三阿僧祇劫という菩薩の長い修業期間。これを歴劫修行(りゃくこうしゅぎょう)といいます。
全部で五十二段階ある菩薩の第四十一番目にあたる。
華厳経ではこの五十二位の段階を善財童子の旅に例えて説きます。
東海道五十三次はここからきています。
五十三番目がめでたく仏陀の位です。
さて初地の菩薩は生々流転して菩薩が既に初阿僧祇劫(トンでもない長い期間)の行を積み重ねて、見惑(仏教から外れたもの観方)を破し、人も宇宙も(自己も自己の対象である外界もすべて)分別なく空であるという人法二空の理を理解し大いに歓喜する位。ゆえに歓喜地ともいう。この位はすでに聖者です。
下には一切衆生を救済すべく願を発し、上には自らも仏になるという大菩提心を持つこと。
ここまで行くともう後は「不退転地」と言って後戻りせず修行が進む。
いわば錬成された魂です。
こんな人いるの?
いると思いますね。
もちろん私なんかは対象外ですが・・・・
師匠はよく前世でも永く修行してきたからできることもあるといっていた。
歴劫修行というのはあると思います。
輪廻転生。そんなのあるわけないという仏教者もいらっしゃいます(ほとんど)が、なぜそう思うのか大いに不思議だ?
お経にあるのに。
その考えは断見外道です。
いかなる考えの人でも人格が立派であればもちろん尊敬はしますが、こと仏教においては私は真実の意味での仏教者としては見ない。