信仰を持つということは心の中に仏との対話があることだと思います。
お水あげて、お花飾って、お線香立てて、お経読む。
それもいいけどそれはご挨拶のようなもので本当は心の中で観音様と常に対話することこそが大事。
お声はなくても答えは心に響くはず。
響かないなら響くまで続けるだけだ。
手を合わせて観音様に念じる。
不安なことがあればどうなるか問う。
念彼観音力とはそう言うことではないだろうか。
○○してくださいだけじゃなく、いかがなものか、どうなっていくのか、どうすべきなのか、観音様の声を拾う。指示を仰いで生きる。
そこに観音信仰の醍醐味がある。
この作業が多くなるほど信仰は深い位置にある。
ただただ欲願をならべたてる。
自分の願望を押し付けてかなえてもらうことのほかは何もない心。
毎度そこだけに終始していたら最後まで至ることのない世界だ。
それは本当の仏さまのプレゼントを受け取らない道だ。