大森先生の河童と酒の話で思い出した。
わが父は無類の酒好きであった。
吞めば底なしだったらしい。
でも大酒飲みが成功したためしは聞かない。
それで金毘羅様に断ちものするといいと教えてくれた人があったそうだ。
金毘羅様は明治以降は金刀比羅宮と言って大物主の命が祭神。
まあ、物見遊山方々行って絵馬に酒断ちと書いて奉納。
だがもとより気休めとしか思っていない。
それより、なにより、帰り道に石段横の茶店で「さっそく参拝記念に一杯」と考えていた不届き者の父であった。
これには同行の友も「おいおい神様に誓ったばかりだぞ。」と驚くやら呆れるやら。
だが、「いやいや、お清めお清め」何ぞと言ってサカヅキを口に運んだとたん
「う!」とのどを詰まらせた。
呑めないのだ!
そんなバカな‼と再びサカヅキを口に運ぼうとするがもう酒の香りがきつくてどうにもならない。
駄目だ!不思議だがあんなに好きだった酒が受け付けられない‼
それでやめた。
父は別に信心家でもないし、死ねば人間は土になるだけといっていた人間だが、幼いころから寺に預けられたり、八栗聖天の護法天狗である中将坊大権現に100日参りをしたりした人間だ。
八栗寺の参道は歩いて登れば、低い山とは言えそれなりしんどい。
それを力試しのつもりで毎日行ったらしい。
そもそも父の父、わが祖父はいざなぎ流の大夫であったと聞く。
やはり神仏の縁があつかったのだろうか。
悪者に追いかけられると天狗のように空に飛んで逃げる夢を見るといっていた。
中将坊様のご加護だろうか。・・・