今の人は「愛国」というとドン引きする人もいる。
別に普通のことだ。
だがこの言葉を口にすると右翼だのなんだのという。
だから言っている。
右翼で結構。右翼でございだ。
社会的な人間として不足なくあろうとする人は多いだろう。
だが社会のそのさらに外に国の概念がある。
だがそこに触れまいとする。
国?国はどうでもいい。
それでは日本人は永遠に国際人とはいえないことになるだろう。
だが私の思う愛国とは究極国体のことでもない。
国土のことでもない。
単に国民のことでもないのだ。
言い換えればこの国の歴史を愛するということだ。
過去の先人たちを愛し、今の同胞を愛し、未来の子孫たちを愛する。
今の日本だけを言うのでない。
国の本質はものではない、時代の流れ、時の流れである。
その中にこそ我が国がある。
ほかにはない。
だからたとえ過去に過ちや芳しくない歴史があっても他人事のように言うべきではないのだ。
それは我々の先人であり、先祖だから。
その人たち無くして今の我々はない。
関係ないは世界に通用しない。
責任と愛の二つを伴ってこそ愛国といえよう。