私は14回まで大峰入部しましたが、40代以降は代わりに飯縄山などを登拝しました。
足首を亜脱臼してしまったこともあります。
病院にいくとレントゲンで何ともなっていないというのですが整体師に言わせると軟骨の故障がある。
最近はだいぶなおって普通になりましたが10年くらい悪かった。
それでも西表島などの森は走ったりしたものです。
その時代に高年齢で山にきている先徳の言では「やはり大峰に来ると来ないでは祈祷の効き目が違う」という。
山は霊山であれば険阻か否かや高さはさほど関係ないという。
まあ、やった感は難しい山の方がありますね。
汗水たらして登るに越したことはないが自動車で行くだけでも行かないよりは違う。
まあ、800メートルほどの高さにある別院にいくだけで山にで登るわけでもないが、飯綱山に毎月、雪深くて近寄れない冬場意外、護摩焚きに行くのはそれもある。
矢張り自然に身を置くことで払われるものはかなり大きい。
わが師も後半は寺務も忙しかったし、南奥駆はご一緒したがほとんど山にはいかれず専ら護摩をたいた。
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「山に行かないなら護摩だ」といわれた。護摩にはそれだけの力がある。
祈祷の量が多ければ多いほど必要だ。
最近うちの新しい弟子も、新しいと言っても6、7年はたつが信徒ができてきているがそれでも護摩を焚かないものが多い。初行のものはとりわけ危険だと思う。
運心で護摩が焚けるまでのレベルなら別だろうがとてもそんなレベルではない。
運心とは心の中でシュミレーションして焚く護摩です。
運心で焚けるにはまず次第を見ないでしっかりと護摩を焚けるレベルが必要だ。
護摩壇がなければ奥の院でもここでも焚けるのに焚かない。
再三言っているのに焚こうとするものがほとんどいない。
子供じゃないのだからこの上は知ったことではない。
まあ、そんなのは私の思い込み位に想っているのかもしれないがエライことになってからホエズラかいても遅いのにと思う。
日頃何も感じていない場合でも護摩はやれば浄化されていくのが良くわかる。
わからないようなものは行者とは言えない。