日本社会では、なんでも「画一的」であることが求められ、それが生き辛さの原因になっている。不合理な習慣は見直されるべきです。私自身、変わり者の少数者で、いつか爪弾きにされるかもしれない不安を抱えているからこそ、「多様性」を尊重する社会を望んでいるんです。
多様性は画一性ではない。
ところがその「多様性」を含んだ「画一」を作ろうとするところに大きな間違いがあると思います。
LGbT法案とはなんぞや?多様性はいじらないでありのままを認める以外ない。
日本の歴史の中には「地者」といった女装の男巫女もいれば、衆道も普通にあった。
他にも色々な人がいた。
それなりの差別も在ったろうが、キリスト教社会の西洋と肩を並べ、明治期からそうした行いは野蛮であってはならぬおかしい事という統一見解となった。
その時代までの西洋ではキリスト教は戦いの宗教だ。
まあ、男は「醜の御盾」で女は「銃後の守り」という画一社会の考えが今も続いているということだろう。
これらは本来法律の問題ではなく社会認識論だ。
そこは時間をかけてもかえていくしかない。
法律で「こうだ!」とかいうべき部分はあっても少ないだろう。
そこをはきちがえるから変なものになる。