ある祈願寺で「こんなに信仰しているのに宝くじがなぜ当たらないのか?」と聞かれて困ったという。
そういう人いますね。
「こんなに信仰」っていったいどんな信仰だろう。
私なら「当たる理由がないからでしょう」と答える。
どんな祈願でも自分の修行や努力に通じるものだ。
だが「棚ぼた」はなにもない。
「棚ぼた」だけを狙って信仰するような人は信仰になりません。
そんな人が来たらお断りするだけだ。
修行になるという部分こそ護法神たる聖天尊の考えるお心だ。
宝くじを当てる努力ですか?
せいぜいお気張りやす。
株や為替なら研究も工夫もあろうが、そんなものに根拠などあるまいと思うが。
ただ むかし講員さまで総本山の智証大師の御遠忌に10万円お供えした方がいた。
別に金満家ではなく工場で働く普通のサラリーマン。
失礼ながら小さなお金ではなかったと思う。
そのすぐ後、買った宝くじがそのまま10万円になった。
なんかお大師様に返されたみたいだと笑っていたが「少し多いぞ」といわれたのかもしれないね。(笑)
本尊は我々のすることを見てる。
いくら拝んでも、あたらないのはあたらない理由があるからだろうと思う。