統一教会のみならず新宗教の二世信者で苦しんでいる人は多い。
だが、勇気を持って「わたしは信者じゃない!」と言いきるのは自己責任の域だと思っている。
だから私は彼らをただ可哀そうな人たちとは本当は思っていない。
勇気がなくて自分の気持ちに反したものを親の延長で信仰するなんてハッキリ言って愚かなことだ。
可哀そうなのは是にしろ非にしろそういう自分の主張ができないことのほうだ。
拙寺の講員さんも子どもを講員の扱いにしている人は多いが、講員にしろといったことはない。(20歳までは祈願料などは親御さんへの請求にしている)
とはいえ、大部分が親主導でなっているのだろうから本当に信仰があると思うわけではない。だから家代々うちの信者などとは思っていないし、思ったこともない。
そのうち、いなくなることは十分承知しているし、もちろん、それでいいと思う。
信仰は個人レベル。自分の信念も信仰もなく親の受け思惑だけの二世信者など邪魔くさいからいらない。
やめればむしろ清々する。
そういう人に限らずやめれば清々するという訳わからない人はいる。
最近では酷いと見たら辞めるのを待たずに辞めさせている。
逆に「うちの子供なんです、お願いします。」と言われても成長した子供さんを講員扱いなどにはしない。
講員になりたいの?なら自分がなれば・・・としか思わない。
うちでは万が一、親御さんが亡くなるとか辞めるとかすればその時点で、未成年の子供もまるっと講員扱いではなくなる。