金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

延命十句観音経講話 2

与仏有因。与仏有縁。(よぶつういん。よぶつうえん。)

 

仏と我との出会いは原因がある。

業業流転の際にも仏教の種があって、はじめて今このお経を聞くことができた。

あうことができた。

でもドンドン時代をさかのぼれば仏教がない時代まである。

ではその「因」はどこから出てきたのか?

本当は仏教はまだない時代でも。御釈迦様が出ない時代でも仏性そのものは人類以前からある。

仏は無始の過去からある。

仏教以前よりある。

人類以前よりある。

仏教は命とともにある。

生命の流転の中にはじめからある。

魚や昆虫にも鳥にも獣にも、今はいない恐竜や三葉虫にもある。

人間になってはじめて認識できるけど。

 

例えば、動物だって脳みそはある。

でも自分に脳みそがあるのは知らない。認識はない。

知らなくてもある。

同じことだ。

 

それが本当の「因」だ。

仏と我と縁がある。

時間軸で言えば「因」

空間軸で言えば「縁」

 

これも仏縁は万物にある。

仏と仏ならざるものが出会うのではない。

「仏と仏のみ。いまし実相を究尽したまえり」

仏性が仏性と出会って火花を噴く。

それが密教で言えば第二三昧耶。

曼荼羅を見てなんだかわかんないけど感動する。

妙にお経の声にひかれる。

皆内なる仏の所為だ。

そういう兆しの時だ。

でも、今ここから初めて整うのではない。

それを考えれば仏教もそうだし、この「延命十句観音経」との出会いもまたまさに出会うべくしてであったのだと思います。