門下の弟子から得度に値する人は?という質問をされた。
「それは志ある人」と答えた
修行に熱心な人ではない。
修行に熱心なだけの人はいくらでもいる。
だがそう言う人が得度したらよりよき仏教徒になるかはわからない。
宗教的行法は必ずしも人や常識。志を養わない。
養うのは社会生活だ。
立派な人というほどでなくとも私みたいなレベルでもつとまるくらいだが、すくなくとも一応の社会常識があって善良でないといけない。
そう言う人でもやめてもらった方はいる。
つまり、行法以外がダメなのだ。
なにかにつけ人とトラブルを起こし、まるで反省もない人もいる。
競う心でしているからだ。常に自分にしか関心がない。
「なら在家のままでも志があれば得度しなくていいのでは?」といわれた。
「もちろんそうだ。必要ない。」
ただ、志にも色々あろう。
だから得度とその志が仏道を通じて果たされる人に限る。
大乗法門においてはそうあるべきなのではないかと思う。