金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

善光寺参拝

昨日はイズナ山奥の院奥の院の仏具磨きの帰りに善光寺さんによりました。御開帳です。ものすごい人です。同行した信者さんもだれも本堂までは拝みに行かれないで大勧進様の回向柱にお参りしてきました。
午后の5時までいたけど人が切れないです。土曜日と云うこともあったと思いますが、前回の御開帳はゴールデンウィークにあたって日本で一番人が出かけたところだそうです。日本人の信仰も捨てたもんじゃないね。
今の若い人なんて海外より善光寺の方がエキゾティックに感じるのかもしれません。
善光寺如来は一光三尊といって一つの光背に如来と脇侍の菩薩二人が入る独特の形式です。懐中出現の御仏と云うことで、その昔、これを引き上げて祀られた方が善光さんという人。だから善光寺なのでしょう。
阿弥陀様と云うことになっていますが、この形式、学術的には何様とははっきりとはわからないそうです。
右は施無畏、左は剣印です。良く知られる阿弥陀様の九品往生のどの印にも該当する者がありません。脇侍の菩薩も手を組む変わった印を結びます。
普通の観音、勢至の姿ではないですね。
九品の往生と云うのは「観無量寿経」に説かれるものでこの世でいかなる行いを成したかで往生の相が決まるのだそうです。それが九種類あります。
元々の経説では基本的に生前の信仰や行いの善悪が大事ですからこれらは死んでしまってからこの順位に九段階だんだんと階級があがるようなものではなく、カルマによる往生の姿と云うことになります。
上品上生で1日から7日、下品下生なんて極楽に生まれても凡そ12億8千万年も蓮のつぼみの中にいて待っていて、やっと仏になるそうですから極楽往生と云ってもなかなか大変です。
それでも弥勒下生の龍華三会を待つ56億7000万年よりは早いので阿弥陀信仰が流行ったわけですね。
昔、良くお参りしていた妙見様の御堂を御守していた尼僧さんが御回向に行く家が妙な霊能者に凝っていてあきれた話というのをしてくれました。
なんでもその霊能者の先生が一回当時のお金で10万円だかなんだかで秘法をすると九品の往生で仏様が一階級上るなどのだというのだそうです。つまりその先生が拝むと下品下生から段々と一回ごとに上がるのですって。
だから尼さんのお経なんかより、断然その先生を有難がるそうです。
正しい話をしても聞く耳なし。
しかも噴飯ものなのはしまいにだんだんと上がってついに上品上生の阿弥陀様になってしまって、そのあとはどうなったかと家の人が聞くと戦争の神様になって中東の紛争地域に行って今は留守だとか・・・そう家の人に告げてどこかしらへ去って行ったそうです。考えてみれば九回以上はお布施はもらえないですね。九品の往生ですから。

さてヨタ話はともかく、善光寺天台宗大勧進、浄土宗の大本願があってに宗派が別当寺ということです。
天台宗大勧進では「融通念仏」の御血脈を授与しています。
これを受けると融通念仏を授与された形となります。
参拝したらぜひ受けられたい。
融通念仏はお互いの念仏が感応し合うという華厳経の世界観にもとづくような念仏です。
色々な考えのお念仏があるけど、この考えが私には一番すっきり来ます。
日課100遍念仏せよと言い、天台法門の念仏も実はこれが主です。
別に「融通念仏宗」と云う宗派がありますが、これも天台宗良忍さんがはじめたもの。基本は今でも天台念仏に近いようです。
ですから他の浄土教と違い、正依の経典は一に法華経、二に華厳経浄土三部経はその次です。
もっとも善光寺さんには昔から宗派関係なく参れるのがいいとこですが。

善光寺さんは戦国時代でも大変な人気で、善光寺平あたりは有名な武田、上杉両雄の戦場だったため、武田信玄善光寺如来が戦火で焼けるのを惜しんで、甲斐善光寺をたてて、そちらに本尊を持って行ったと言います。(後に返却されたらしい)
甲斐善光寺は今でも山梨にありますが、参拝の折、奥に立派なイズナ権現像が二体あったと記憶しています。

さて、参道を下がった地元野菜の八百屋さんに「猫のお土産」と書いてあっていつも「またたびの枝」が売っているのですが昨日はなかった。売り切れかな?
猫たち、お土産なくて御免。