金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

尼寺の存在意義


去年の話。私が「私は2019年の初夏まではお弟子はとりません」と言ったのをなにかで知った(このブログ?)らしく、存じ上げない女性の方から「仏教に興味がありますので、2019年になったら得度したいからそちらにいきますのでよろしく」と電話でいわれた。「エ?」という感じ。

弟子というのは日ごろでまず弟子らしく接しているから弟子として認められるので、いきなり来て「今日から弟子にしてくださいね。」なんてのは普通はありえません。

思うに弟子というのは信徒の一つ上のクラス。
信仰の実績のない初めからの弟子なんてありえません。
そこはカルチャースクールや塾やゼミじゃないんですから。
「弟子と講員は別ですか?」と聞く人もいたけど、うちでは講員は絶対条件。講員を止めれば弟子資格は消滅します。だって信仰上の接点がないもの。

最近は女性のお問い合わせが多い。
特に私は女性のお弟子さんは私自身が扱いが下手なんだと思う。(女性の側がダメなのではないですよ。これは私の問題なんですね。) 
今いる方々は比較的熱心な人が多いのですが…
ウ~ン…残念ながらきし方を見ると自分でうまく指導できてると思わないない。
なので、女性のお弟子さんは今、来ている講員さんで得度したいと言われている方以外はもうとらないつもりです。
まあ、行をしないで得度だけならいいかと思っていたけど・…それも最近はあまり意味がないよなあ…と思う。
得度自体が軽くなるし。
本来は三年間修行の様子を見てから…というのが宗派の規定なのです。
授戒は全員講員になったときして頂いているので弟子はやはり行しないと無意味。
でも、例えば一洛捨の籠り行などもお世話するのも女性でないと難しいですね。だから目下女性は密教は指導できない情況。
以前は母がしていましたがもう90歳ですからちょっと無理だし。

お釈迦様は女性が得度したので「法滅が500年早まった」と嘆いたなんて仏教伝説もある。(笑)
もちろん、私はそうは思わないです。人口の半分は女性だし、
でも、女性はやはり女性が指導するほうがベターだと思う。
そのほうがやりやすい。
故に尼寺があるのだと思います。
男性では接するに難しい点があります。

お釈迦様も男の方ですから、比丘と違い、教団において比丘尼は勝手が違い、なにかしら「不都合」は現実にあったんではと思いますね。