普賢菩薩の十大願にある言葉
私の授かった妙見菩薩法では普賢十大願を唱えます。
自分も衆生とともにある。
共感。仏教用語では同悲でいいと思いますが。
私は一般の人々とはまったく違う存在とかいうのは菩薩の心ではないということですね。
同じ心の共有する。ゆえに天台では仏に悪アリとさえいう。
一抹の悪がなければ悪を犯す人の心は理解しえない。
ただし、仏には性悪はあっても業としての悪は無い。
理解なくして救済はできないというのが大乗仏教の考え。
しかしながら、世の中の高僧や教祖様などと言われる方にはこれを忘れているといいますか、持ち合わせていない人もいます。衆生と遊離している。
そういうことを意識的に強調されるお方もおられます。
ご自分は普賢菩薩より上だということでしょうか・・・