うちに手伝いに来ている真言僧の方から聞きました。
その方の御師僧はなかなか高名な方だとききますが
「お前な、お前が釈尊と同じ悟り開いた、ともしそういったら。わしはお前を即座に破門するからな。」といわれたそうです。
成るほど偉い方です!
仏教は悟りのための宗教。
だからそれはおかしいと思う方もいるかもしれませんが・・・
実は我々は誰も釈尊の悟りを知らない。
知らなくていいんです。悟ってないから。
だってもともと知らないんだからそれが悟りかどうかもわからない。
それがホントでしょ。
だからそこは諸々の大菩薩が必要なんですね。その導きが。
我々は悟りを知らないんですもの。
悟るといったって哲学ではない。少なくとも大乗はそうです。
だから信仰が必要なんです。そうでないと謙虚さは失われて小利口な人間が自分の考えを横行させてしまう。
それが長達(提婆達多)の破僧罪の話に象徴されている。
そういう観音だのミロクだのという存在が実は大乗が帰依する僧。「帰依僧」とはそういうことです。
上座部の言うサンガ(僧団)だけじゃない。
勿論、師僧に帰依するのも帰依僧だし、
諸菩薩に帰依するのも帰依僧です。
「守護師迹」といって仏道修行はそういう先輩の道を謙虚に歩むことにつきます。
釈尊の御名をかたって最高の悟りを開いたという人も聞きますが総てろくなものではないと思う。
すべてそういうやからは山師、邪師、いかさま師と言って間違いない。
それこそが最も警戒すべき悪魔です。
「悟りって何ですか?」ときかれれば
「探索中です。」ということにしています。