うちは祈願は講員という形で一応線引きしています。
これにはいろいろ理由がある。これはそのきっかけのひとつ。
むかしむかし、まだ私がごく駆け出しのころ。不倫で悩んだ女性が相談にきていた。
本人もよくないことだと思っている。
私も肩は持たない。結構きつくやめろと言う。
でもなぜかたびたびくる。
直接聞いたわけじゃないから本当かどうか知らないが「ちゃんとね。ダメだって怒ってくれるんだよ。」といっていたらしい。
オイオイそう思うなら不倫いいかげん止めろよと思った。
でも今考えると、この方はそうやって文句言う私と時々あって自分の不倫はやめられないまでも、まずいという気持ちを失わまいとしていたのだと思います。
そのうち拙寺で毘沙門天を祭ることになり若干の御寄附を募った。
お札を取ってる人にしか声をかけなかったが、彼女はなんでかそれを知って3万円送ってくれた。私にはとても大きいお金でした。
それでご挨拶に電話をして「開眼祭には是非おいでくださいね。」とおさそいしたところ。
「そんなものにはいかないです!」という。
「・・・おいそがしいですか?」と聞くと
「フン、私は信仰なんかないですからね!」とのこと。
これにはわたしも驚いた。同時にカチンときた!
「じゃあお布施をそういうあなたからもらういわれはない!」と言っておくり返したが受け取り拒否。こっちも拒否!
拒否の応酬でしまいに彼女がやっと引き取った。
それからもう会うことはなかったが、ある日電話が来た。
病院からだった。聞けば彼女が大酒呑んで駅のホームから転落し病院にいるという。
さいわい命に別状はない。お酒はけっこう強いし大酒呑みだったらしい。
多分例の件でやけ酒でも飲んだのだろう。
それで病院から「あなたを呼んでいますのですぐ来てください!」という。
でも仕事があったし、幸い全く怪我もどうこうっていうわけじゃないらしい。
「そういわれても。日程もあって今すぐにはいかれないです。」
というとやおら看護師らしい女性が電話口で怒りだし
「アンタねえ。彼女が怪我してあんたを呼んでいるんですよ!なにいってるんですか。」
そこで「彼女って・・・その人、うちのお寺に相談に来ていたただのお客さんですよ。信者さんでもないですし、それにもうしばらくずっと来られていません。
私は車が運転できません。
それでもどうでも来いというなら行きますから病院で迎えの車を出してください。」と言ったら急に「え、・・・そうなんですか」という感じでトーンダウンした。
どうやら何か個人的な親しい関係と思っていたらしい。
そうしたら本人が電話に出るという。
「ね、これからいっていい?」という繰り返し。こちらの言う話は聞かない。
しまいに「あなた転落して怪我したんでしょう。そこにいなきゃダメでしょう。そこにいなさい!」と言って無理やり切った。
まあ。今なら心理学でいう投影と逆投影が起きたのだとはわかりますが・・・
こんなことがあってから私は信者とそうでない人はこれは分けないとダメだな…となんとなく思うようになったのでした。