今日はお医者の検診で外出、帰りにひさしぶりに映画が見たくなり、今まであまり見ないジャンルですがツッパリ映画「今日から俺は」を時間的に一番早い映画を選択した結果見ることになりました。
見るまではこんなの見てどうするかな…と思ったけどとてもよかった。
考えてみれば今の時代、ツッパリなんて聞かない。
大昔の「いなせな兄さん」みたいなもんで死語に近い。
此れって今の子たちにはあんまりないことかもね。
よほど地方でもいかないと。
今の子供たちに「番長「とか「番張る」って言ってもあんまりぴんと来ないでしょうね。
「何それ?」って感じ。
今の子供たちは行儀がいい、殴り合いでボコボコなんてしない。
横面一発はっただけでもう大騒ぎだ。忠臣蔵の松の廊下みたいな騒動にさえなる。
それを深く恨んで刃物で殺そうとしたりする。
その方が怖いよ。
この時代はチェーン振り回したり、金属バット持ち出したり無茶するけど殺すの目的というのは無かったね。
そうやって皆何かを学んでいったのかもしれない。
ツッパリでも別に悪人という訳じゃない。彼らなりのルールの中で生きていた。
この映画の主人公のミツハシやイトウもそんな奴らなのだ。
どうにもならないバカだが元気でかわいいストレートな生き方を選ぶ若者だ。
ただし番を張るにはある種の人徳がいる。むろん魅力も必要だ。
ガリ勉(当時勉強の虫みたいな人をそう呼んだ)してもそこは全く養われない。
昭和のその時代、日本中の若者がそういうスタイルに何らかの価値を感じていたと言ってもいいだろう。
当時人気だった尾崎豊さんの歌もそういう感じの青春をえがいてヒットした。
私もそういう人間は決して嫌いじゃない。
だが、現実のわたしはそういう若者たちとは無縁で生きてきた。
優等生や進学の鬼でもない。むしろもっと深い闇の淵にいたのかもしれない。
中学時代から神や仏を考え、呪術や神秘思想なものを探求したりした。
武術はやったがあくまで護身のためだった。
学校の勉強などより自分の興味の方が何十倍も大事だった。
ある意味それで天下をとれると思っていた。(笑)
学校でやることが大事な奴は世間にいくらでもいる。
そういうことは私がしないで彼らに任せておけばよいと考えた。
小学校の時、将来の夢は…と聞かれて「妖術使い」と答えた。
この世の神秘に触れたい。そんな子供であり青春時代だ。
この映画を見て思うがそんな子供だったわたしより彼らの方がよほどマトモだ。
彼らは修羅を卒業しておとなになって行った人たちだ。
私はその意味では変わらない。私の修羅はもっと深いとさえいえよう。
今も冥府魔道を行くような感じ。
そう望んででそのように生きてきたから別に何も後悔はないが、もし自分に子供がいたと考えたら神秘の境にさ迷うよりツッパリになる方が親の私としてははるかに安心するんじゃないかな・・・と思う。(笑)