お前百までわしゃ九十九まで
いつも三月花のころ
使って減らない金1000両
これは江戸時代に切りがない人間の欲の歌として謳われたもの
でも現代ではこれは夢ではない。
高年齢化
暖房器具はじめ家電製品の充実
株運用のIT長者にでもなって運用が上手ならば利益が利益を生んで減ることもない。
まさにこれをそのままに生きている人もいる。驚くほどのことではない。
不死はともかく、今の50歳と100年前の50歳は全然違う。昔ならもう死んでいる人も多い。今はむしろ働き盛りは50歳だ。アンチエイジングは実現してきている。
でも人間の悩み苦しみはさっぱりなくなったかといえばそうではないでしょう。
それでも人間の悩みは無くならない。
あなたは好きなだけ生きられるとしたらどうします?
若いうちは70くらいでいいかなとか言ってもいざとなればもっと生きたいのが人間。
人間自体は3歳でも70歳でも変わらないのです。
でも逆に永遠に死なないとしたらどんなに怖いでしょう。
幸せに絶対的な尺度などない。
結局身の丈に合った幸せと言うのを見つけるのが幸せ。
江戸時代だって幸せと思っていた人はいる。
今もそのくらいの分文化水準の地域だってある。でも不幸とは限らない。
そんな江戸時代の生活なんか不便だし不幸だよと言うなら・・・未来人から見れば今の生活も不便で不幸ということになるかもしれません。
逆にものが充実しマンパワーが要らなくなるほど、人はどんどん孤独な自由に進んでいく。
自由であれば孤独はまぬかれない。
昔の皇帝や王だって一番自由で一番孤独な人だ。
王が幸せになるには贅沢を貪るのをやめて絶えず民のことで頭をいっぱいにすることだ。
ほかにはない。それが良き王だ。
自由は幸せと勘違いしているとひとりぼっちになる。
自由であればあるほどそうなる。
幸せとは物の拡充ではなく、つまるところ人と人の間で起こることなのだと思います。