かなり昔「般若心経の本」を書いた。
依頼時の時はいったん断った。
理由は「悟っていないから、んなのしりません。」ということ。
編集長から「また~、そんなみもふたもないことを言って!」と言われてしぶしぶ書きました。
まあ、そんなので悟りとはほど遠い愚痴の私であるが霊的ディフェンスの最たるものは「空」としたしむこと。
そう思っています。
親しむことくらいはできる。
護るべき自分が空なんだからこれは一番強い。
自分自身がストロングでなくちゃいけない・・・ではない。
強いも弱いも自分がない!のだから
とはいえその空を認識してる奴はだれかと言えばほかならぬ自分ですね。
だから空を向こうにおいて「空だ 空だ」というのはただの絵空事。
矛盾の極み。
空と自我と外界は実は同じものなのだと言う気付きがないとまったく役に立たない。
つねれば痛い我が身をシッカリと感じながら「私は空です」とは思えまいよ。
空と自我と外界が一つということを教えてくれたのは金剛経の「無我相禅」でした。
無(空)と我と相(世界)ってつまりは同じことなんだね。別々なものではない。
これ本の解釈だけおっているうちは全然わかんなかった。
霊障はもとより、うつ病や深い悲しみに暮れる人にもこの観念は役に立ちます。
やはり仏法は本の虫なんかになってもただの物知りになるだけ。
勉学も大事だがかかさず修行はすべきですな。