動物愛護の話。
世界には大きく分けて二つの考えがある。
アニマルウェルネスと言う動物の幸福追求という立場と
アニマルライツと言う動物の権利を認めようという立場
アニマルウェルネスは動物は適正にその性質にあって飼育されるべきで、それは食用動物でも同じという考え。
たとえ屠殺されるものでもそれまでは幸福にと言う考えだ。
この考えが軸となり欧州連合などではバタリー式と言う鶏を詰め込んで、昼夜なく卵を産ます非情の飼育法は撤廃され、スペインの闘牛も廃止、英国のキツネ狩りの廃止になった。
最近では南アフリカで猛獣狩りを楽しむ下劣な趣味のために飼育されるライオン牧場が廃止された。大変喜ばしい。
動物も幸福であってほしい、だが動物は人間の管理下にある。野生種も含めと言うこの考えはキリスト教の天地のあらゆる生き物を人間に任されているという考えとも一致し、宗教上でも矛盾はないし我々になじみやすい。
18世紀のドイツの哲学者ショーペンハウワーのように動物はただの機械で切り刻まれて説教してもそれはそういう仕組みなだけという考えにくれべれば百倍千倍もマシだ。
一方。動物の権利を認めようというアニマルライツは、実際なかなか難しい。
そもそも動物に概念としての権利はない。
まあ、だからこれも人間が認めると言うものだろうが、かなり前に奄美大島でアマミノクロウサギなどの数々の野生動物の名前で島の開発を阻止すべく民事裁判を起こし、負けた例があるがこれなどはそういう考えに近い。
つまり動物の権利侵害に当たるという。
敗訴の理由は「アマミノクロウサギは人間に非ず」で民法の対象ではないというごくつまらない判決だ。地方裁判所なら認めるくらいの判決を出せば面白い。
捕鯨船にゴジラ号でつっこんだシーシェパードもそうだろうね。アニマルライツ派。
ゴジラは映画の生き物だが捕鯨船よりははるかに強そうだからそう名前をつけたんだろう。
と言うわけでアニマルライツはなかなか難しいが、実は仏教はこちらに近い。
仏教では動物に対しても罪を犯してはならないという概念がある。
この考えは実際には人間社会の営みとも齟齬をきたすことも多い。
仏教では動物も輪廻の旅の仲間だという考えがあるからだ。
父母も自身も動物や鳥だったかもしれないと考える。
時間軸では生命は平等なのだ。
だがこの考えは動物を管理するのでなく動物に任すという自然保護の考えにはとても合致する。つまり生態系の保全だ。
家畜等にはウェルネスが叫ばれているが、野生動物にライツを認める時期に来ているように思う。たとえば「生態系保護」はアニマルライツの感じに近いと思う
。
アニマルウェルネスは矛盾を感じることは少ない。要は人間の慈善心が満たされればいいだけの話だ。可哀想と思って動物以前に人間が傷つくのを避けたいといいのが真実だろう。
ライツはそうでない。動物主体だから面倒だ。人間は自然に譲歩しないといけない。
そこには人間に不都合な矛盾がある。
だがその矛盾の中に学びがあることをだれが否定できよう。
「人は一切を神から任された代理人」と言う考えは悪くすれば、傲慢さから地球と言う手に余る会社の経営に失敗する駄目経営者を生むかもしれない。
今こそその「矛盾」こそを選択すべき時だろうと思うが。