金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

怖れは大事だ

密教の明王像について「尊い存在ならなぜこんない恐ろしい姿で表現するのでしょうか?」と他宗教の人に聞かれたことがある。

「それは怖れるということが大事だからだと思います」と答えておいた。

どうしてかって?

 

例えば健康を保つにはそれを害することを怖れなくてはいけない。

深酒や滋味肥濃な食べ物ばかり食べては良くないという「怖れ」が必要です。

同じように経済生活にも貯蓄は大事だし、散財は忌みます。

お金がなくなってしまったらと怖れるからでしょう。

このように怖れは役にたっている。

人間関係でもそれを損なうことを怖れる人は言葉に気を付ける。

 

逆に「俺はこわいものなんか一つもない」と豪語する人もいる。

そういう人はバカですね。物を知らなすぎる。

怖れるということのない人間はバカです。

バカと言ってよくないなら極めて未熟な人間ですね。

怖いものが何もなくなったら、本当は人間おしまいです。

 

そして怖れは畏れにつながる。

「畏れる」は最大限の敬意であり、宗教的には特に大事な感情です。