密教の明王像について「尊い存在ならなぜこんない恐ろしい姿で表現するのでしょうか?」と他宗教の人に聞かれたことがある。
「それは怖れるということが大事だからだと思います」と答えておいた。
どうしてかって?
例えば健康を保つにはそれを害することを怖れなくてはいけない。
深酒や滋味肥濃な食べ物ばかり食べては良くないという「怖れ」が必要です。
同じように経済生活にも貯蓄は大事だし、散財は忌みます。
お金がなくなってしまったらと怖れるからでしょう。
このように怖れは役にたっている。
人間関係でもそれを損なうことを怖れる人は言葉に気を付ける。
逆に「俺はこわいものなんか一つもない」と豪語する人もいる。
そういう人はバカですね。物を知らなすぎる。
怖れるということのない人間はバカです。
バカと言ってよくないなら極めて未熟な人間ですね。
怖いものが何もなくなったら、本当は人間おしまいです。
そして怖れは畏れにつながる。
「畏れる」は最大限の敬意であり、宗教的には特に大事な感情です。