ニャ~ん、!ニャ~ん!!と大声で鳴く。
拙寺にもそんな子がいますよ。
猫ちゃん飼っているおうちで「近所迷惑なので鳴かないよう拝んでくれ」という依頼が・・・?
これ無理です。
ましてやこの猫ちゃん手術していないそうですし。
なぜなら、祈祷というのは本来的でないことをまともにするだけです。
何でも自在じゃない。
自然の流れに戻すだけ。
ニャンコがこの時期鳴くのは自然なこと。
夏を秋のように涼しく暑くしないでとか・・・冬を温かく春みたいにするのと同じことで絶対無理です。
科学はそこをやってしまうので祈祷よりよほど魔法です。
でもね、反動も考えないと怖いです。
ましてやいきなり個人の年収1000万円にしてくれとか・・・・誰もが叶うならそれてってまったく自然じゃないと思いませんか?
勿論、世の中には年収1000万円どころか数億円のひとだっているよね。
でも、それが叶うのは叶うべき器と前提の整った人だけ。
叶うべきが叶う。
それだけのこと。
だから死なない病人が死なない。
売れる商品が売れる。そういうことがスムーズにできる。
調伏にして、滅ぶべきものが滅ぶ。それだけです。
ほかはできない。
万一もしできるとすれば天の理から漏れるので、必ずその反動がおきるはず。
30年くらい前、自分がゲイなので故郷の親を悲しませたくない。
長男で一人っ子だし、女性を愛して結婚し、子供ができる人間になりたいので是非、まず彼女ができるよう拝んでくれというので
・・・かなり難しそうだけどとにもかくにも拝みました。
一年後、その人から祈祷中止の電話が来た。
「おかげでとってもいい彼ができたんです!だからもういいです。」とのこと。
この時、私はこの人にとってはそれが自然なことだったのだとさとりました。
何が自然なのかは周囲の要求で決まるわけじゃない。
最近のように「LGBT」なんて言われるズット前のお話です。