金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

地域と人間関係の話

昨日驚く話を聞きました。
東京のあるマンションでは「挨拶禁止!」だというのです。
しかも、なんとそういうマンションは増えているらしい。

挨拶するしないでもめたりするのでそうなったらしいけど・・・
いくら何でも禁止までする権利が誰にあるんでしょう。

合宿や寮やなんかじゃないから挨拶しないとダメというのもおかしいが、まあ、広いマンションですからしてもしなくてもどうでもいいというのが妥当な線でしょう。禁止ってなんなんだろう?

人間一人で他人と接触しないで生きていけるそういう社会ができてきている。ひきこもって一生誰とも会わない。
それでも全然問題なくやっていける社会がすぐそこまで来ています。

例えば町内会なんかでもお葬式を知らせる。
それは大勢人が来て近所にも迷惑が…という線では知らせることも必要だけど、しんみり家族でしかもよそでやるならなぜ知らせる必要がある?という問題も問われるかも。
個人情報ですしね。そのうち知らせなくなるでしょうね。
今は昔とちがって近所でも向こう三軒両隣くらいしか知らない。そこまでは知らせなくても自然と知られるかもしれないけど都会なんかではそれもたびたび入れ替わる。

現にうちはオヤジの葬儀は当院関係だけの葬儀でした。斎場で通夜、葬儀もしたのでご近所にも知らせていない。親父の任個人的人間関係も知らないので、無論それも知らせていない。

ここはうるさいところで20年前は500メートル離れていても挨拶に来るの来ないの、お前の家は町内の祭りに出ていないから不届きだというような地域だった。遠く離れている知らないうちでも葬儀だというと近所でうちそろってゾロゾロ出かけたものですが、それでも当院の場合は寺院内葬で父の葬儀はよそに一切知らさないで信者さんと法類だけでやった。
知らせることが近隣に必要とは思わなかった。むしろかえって迷惑と思ったので。最近は近所の葬儀もいかないですね。班が違うと。

うちのような里山のようなところでもそういう風に変わってきています。
かといってベタベタの近所付き合いがいいと全く思っていないけど・・・地域に密着した人間関係はどこまで必要なのか距離感が難しいところです。
距離というより必要な人間関係かどうかが問われるようになってきているのかも・・・

ある信者さんの話。ずっと新聞とらずに郵便受けからあふれてたら、近所の誰かが通報したらしく警察が来て生存確認されたそうです。
まあ、でも有難いことですよね。これからは一人世帯も多くなるしね。