金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏道修行

精神力の祈祷 信仰力の祈祷

若いころと比べて祈願の力は変わらないものか?という質問。 若い頃は体力気力も満ちている。 だから若いうちは祈願以上に修行に打ち込むのがよいだろう。 祈願はというととかく精神力任せの様になりがち、例えば念力を凝らしたりするのはやりやすかろう。 …

初護摩を終わって

久しぶりに護摩焚き。ご本尊の十一面様で焚きました。 今日はいつにない珍しいメンバーが多くおいでで嬉しい初護摩でした。 霊的な色々なものを除去できるので月一回は焚くようにと師匠から言われていたが、やはりすっきりしますね。いろいろなものがボロボ…

十一面様のご祈祷 曼荼羅の祈り

十一面様にストレートに頼むこともあるし、たとえば「寿命延長」の御祈祷などは十一面様の中に准胝仏母が現れて、祈願者に真言のしずくが注がれるように思って拝んでいます。 全ては十一面様を通して祈る。不動明王でも毘沙門天でも同じ。 そうでないと本尊…

感見の像

自由イメージの瞑想。 次々心から浮かんでくるもの。 これは自由に連想することを奨励しなくてもそういう心の癖のある人は何をしてもそうなる傾向はあるだろう。 例えばの話、密教の観想でも「私の場合はお不動様が剣でなく槍を持って出てくるんです。」とい…

葛城神道の幣

これなんでしょう? 実は幣なんです。その昔、葛城神道の灌頂を受ける時に倭錦を使って作らされました。 葛城神道は慈雲尊者になる仏教的な神道ですがかなり儒教的な思想も強いといいます。 このほかにも幸い、有難きご縁によって御流神道、吉田神道などを受…

悟りの人 慈悲の人

悟ることこそ仏教の目的と考える人。 ゆえに山に籠って滝に打たれたり、ひたすら座禅三昧。世俗と接することは少ない。 かたや衆生救済こそ仏教の究極と考える人。 済世利民につとめるが悟りらしきものは未だなにひとつ得ない。 亡き山田恵諦お座主は仏教に…

祈願の周期

祈願には成る周期がある。 それは1,4,7,13で月でも年でもそう。 例えば今月祈ったことはその月の内に結果が出るか四か月後が出やすい。 年単位は遠大なことはそうだが、病気やもめ事の解決などは月レベルで考えるほうが妥当な問題が多い。 治らない…

声なき声を聴きながら

当たり前のことだが行者は一番の本尊の信者でなくてはならない。 だからあれやこれや頼まれて、ただただ拝み倒すように本尊にそれを無理強いするようなのは違う。 それはよき行者とは言えない。 注文をかなえるのが神仏の仕事でもない。 そうではなく、むし…

止観のお話

止観(座禅)の基礎とは簡単に言えば文字通り、心の働きをやめてみること。 四六時中何か考えている癖のある人間にはとても難しい。 今にも走り出しそうな馬にも似た心をくくっておくようなもの。 こういうと「なるほど!心の動きを止めるのが大事なのですね…

通らぬ祈願

一生懸命拝んでいるけどおらぬ祈願には二通りある。 ひとつにはもっともっと拝まないと因縁や業の雲厚く届きにくい祈願。 これは時間かかるけど叶う可能性はある。 いま一つはこれはダメ、無理という祈願。 内容が悪いとは言わなくても縁がまるきりない事と…

密教は心の健康がもとにないと・・・

ある密教僧のかたとのやりとり 某師「心の浄化をやってからじゃないと密教の修行っていうのは効果が上がりにくいと思います」 羽田「確かに精神的にゆがみがある人なんかが准胝独部法百万回やってもおんなじですね。 医療でも患部がわからないといくら腕や機…

秘法伝承の守護神

実際に修されてきた秘法にはどれも其の伝承者の守護神がかかわってきます。 だから学者めいた人が梵字や偈文を「たぶん、ここ、間違いだよね、」となおすと法は利かなくなる。 酷いのになると印までなおす。 同じ名前の印でも伝承によって違うのでそのままで…

聖天浴油と毘沙門浴油

聖天様の浴油と毘沙門様の浴油。 作法は基本よく似ているけどやってみると違う。 ものにもよるが聖天様ははじめるとだんだん結果の良否が見えてくる。 極端な話が初座からわかることもある。 「よっしゃ、いける!」というのもあれば、 「無理だろ。それ。」…

修行に忖度などする必要なし

弟子師匠というもののお笑いコンビのような仲もある。 冗談を連発する友達みたいな仲もある。 だが本当に行をする目的の師弟関係ならそういうのはダメだと思うね。 そこには関係ない感情や人間関係を持ち込もうとしてはならない。 ハッキリ言って師弟はお互…

密教祈祷できるようになるには

よく聞かれるが本尊と仲良しになる以外ない。 あまり仏教的表現ではないが、いうなれば自らの内に本尊の「分霊」を宿していると思うがいい。 それは自らの心月輪上にまします。 私の場合はキャという梵字。十一面観音の種字。 一体というのとは違う。 一体な…

良き宗教家とはどんなものか

宗教家というものは世間の職業とは少し違う。 たとえば、えらい宗教者、すぐれた宗教家になろうとひたすら学び、精進するものがいたとしてどうだろう。 それはいささかピント外れだと思う。 良き宗教家とはそんなことよりも、いかにしたら人を苦界から脱出し…

行を汚さないこと

仏教の行は「僧伽」で行うもの。つまり集団で行うものが多い。 そんな中で皆と歩みをそろえつつ自己の内面を調えて粛々と行うのが行だ。 だが集団だといろいろある。 本来人の出入りを絶して行う加行なんかも、集団で行うともめごとやいざこざもあったりする…

修法中に喜びが湧く

浴油でも念珠でも無性に楽しくなる、喜びが泉のように湧くことがある。 何がうれしいのか、さっぱりだが・・・ 一種の変性意識状態だからそういうことは当然あるというのが精神医学の見解だろうが・・ 心の仕組みの話はまあそうだろうけど・・・。 多分本尊…

葛城山第三コース踏破

葛城山修行は東京宗務支所12名全員が最後まで踏破。 大変良かったと思います。コースでは今回がもっとも長いそうです。皆、最低三回・満行まではいってもらいたい。

老いは人を開放する

釈尊の説かれたふたつのしあわせ 一つは父母に仕え、配偶者と子供を守り、稼業を円滑にする在家生活の幸せ 一つは人間関係のしがらみを離れて、感情や欲に惑わされず左右されない出家者の幸せ だが前者の幸せはいずれは無くなる。 人生の円熟期を過ぎて主な…

よくなる人 ならない人

釈尊は「愚かな人は死ぬまで賢者に仕えても理法を知ることはない」といっている。 身もふたもない言い方だが真実だろう。 江戸時代・易学の大家で儒者の新井白蛾が似たことを言っている。 「立派な学者と一緒に暮らせば無教養なくだらない人も善化されうるの…

密教観想と月輪

月輪は本有の菩提心 何尊の供養法でも必ず月輪は出てくる。 月輪の上に種字 本尊を表す梵字 種字が三昧耶形 本尊の働きをあらわす事物 そして本尊に変わる。 それら一連の感想は皆すべて月輪上でなされる。 いかなる尊もみな自らの浄菩提心の化身。 たとえ夜…

冷たくて暖かい菩薩の道

遠くにいると暖かく、過度に近づけばむしろ冷ややか。 私の出会ったひとかどの宗教人は皆そうだった。 近づくほどにベタベタと濃厚な付き合いをする人 少し遠くにいるとなんの心映えも感じない人。 それは違う。そういうのではない。 平等なるゆえに等距離に…

自己責任

葛城修行間近。 行というのは色々思いがけないことが起こる。 だが基本的にはそのすべてが自己責任と考えるのが行の世界だ。 基本的に個の世界だからだ。 歩けないならもう下山するしかない。 一時的に助けてもらいたいことは誰でもある。 だが基本的に歩け…

頼むも頼まぬもない

行と自分がいつも別々。これでは行の意味はない。 念誦何万遍しても変わらないんですけど・・・? 変わるわけがない。 行がただの「行い」で「行」になっていない。 行が行になるには行以外考えないのが行だ。 祈願は祈願。行は行。 行に余計な願い事を込め…

心新たに

准胝独部法、10万遍で終わりました。 ほかになにかありませんか? いいえ、密教の法で在家ができるのは三七延命法とこれだけ。 ほかにはなにもない。 これだって縁あって授かった尊い法だ。 また、こころ新たに一からすればいい。行に上も下もない。 他にし…

説明は後だ

密教は象徴の宗教と言われる。 たとえば如意宝珠は菩提心の象徴、舎利つまり仏教のエッセンスと同じという。 だが同時に豊かさの象徴でもある。 無数の宝を生む。 聖天でも荼吉尼天でも弁財天でも多くの財福神は三昧耶形は如意宝珠。 ですが・・・ そういう…

三昧発徳

観無量寿経疏を書かれた善導大師は極楽浄土を感見したという。 そういうのを「三昧発徳」という。 法然上人は「ひとえに善導による」と言われたのも善導大師のその体験あったからこそだろう。 どこだかでその三昧発徳を一週間で成就させるコースがあるので行…

末那識を通過する一洛叉

密教行を始めると、程度の差こそあれ自我意識である末那識を掘り下げるので。いろいろな過去の経験が思い出されたり、思い出さなくても感情の嵐になったりする。 そのために飯縄山の道場に籠り一洛叉つまり十万遍の真言行をしてもらうのだが、これはたやすく…

祈願のベクトル

今日は飯縄山奥の院で聖天浴油、十八道不動供、理趣分、護摩とフルコースでした。 お弟子にも担当してもらった。 そうしたらある人のご祈願を拝んでいてなんか「えらく悲しくなった」という。 これは施主の想いか、本尊の想いか。そういう質問を受けた。 こ…